鳥井信治郎 生涯現役で前線に立ち続けた経営者

こんにちは。

株式会社Switch 営業担当の伊藤です。

 

以前サントリーについてのブログを書いたときに、サントリーには「やってみなはれ」の文化が根付いているとわかりました。

この「やってみなはれ」は創業者である鳥井信治郎さんが残した言葉でした。

 

前回のブログはこちらです。

switchbiz.hatenablog.com

 

今回は「不可能を可能にする」文化の生みの親である鳥井信治郎さんについて調べてみました。

 

 

 

誕生から独立まで

1878年(明治11年)大阪の両替商の家に生まれました。鳥井少年はとても優秀だったようで、高等小学校を4年飛び級して入学していたそうです。13歳になった鳥井少年は薬種問屋小西儀助商店(現在木工用ボンドで有名なコニシ)で丁稚奉公をし、1899年(明治22年)鳥井青年が20歳のときに独立をしていきました。

 

当時は、10歳過ぎたら丁稚奉公をすることが当たり前のようですが、独立を認められるのは30歳前後になることが多かったそうです。10年も前倒しで独立を認められるとは、人の2倍3倍の努力をしてきたんでしょうね。

 

赤玉ポートワインの誕生まで

奉公しているときにお酒の勉強をしていた鳥井青年は「鳥井商店」で、ワインの輸入販売を始めました。スペイン人にもてなされたときにワインの美味しさを知り、これを日本で広めたいとました。しかし、輸入するワインはどれも日本人好みの味ではなく、順風満帆というわけにはいかなかったそうです。試行錯誤の上、ついに1907年(明治40年)に日本人好みのワイン「赤玉ポートワイン」が完成しました。

 

このワイン、当時にしてはかなり高いものだったそうです。当時米4升分の値段だったそうで、1升あたり16銭4厘。アンパン1個1銭の時代。新聞配達しながら勉学に励む男子学生の8日分の食事と同等の価値でした。

 

高価ではありましたが商売上手な鳥井さんはあの手この手で販売し、売上を伸ばしていきました。売上の増加にともなって1921年には株式会社化しました。

 

女優を起用したポスターの作製などワインの宣伝のために斬新なブランディングを行い、鳥井さんは日本中へワイン文化を創り出すことに成功し当初の目的を果たしました

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ウイスキー角瓶の誕生まで

次に鳥井さんが取り組んだのはウイスキーの製造でした。

1923年にスコットランドウイスキーの製造を学んだ経験がある竹鶴政孝さんをパートナーに選び国産のウイスキー製造を開始しました。

1929年(昭和4年)に国産ウイスキー第1号「サントリー白札」を発売しましたが、煙臭さが強く日本人には受け入れられませんでした。挽回しようとブレンドを加えた廉価版である「サントリー赤札」を発売しましたが、またもうまくいかず経営不振に陥ってしまいました。

 

竹鶴政孝さんから鳥井信治郎の息子である吉太郎さんへウイスキーの製造法の伝授が済んでおり、吉太郎さん中心にウイスキーづくりが進んでいきました。

日本人の嗜好に合うように香りと味わいに磨きをかけ、ついに1937年「サントリーウヰスキー12年」が発売されました。これがのちに「角瓶」と呼ばれます。

背水の陣で取り組んでおり、これが失敗したら倒産しかないというところまで来ていたそうです。

 

気軽に飲めるトリスハイボールの誕生まで

戦争下で海外のウイスキー輸入が禁止されたことや、「海軍指定品」になったことで特別に原料の供給を得られるようになっていた背景があり「サントリーウヰスキー12年」は順調に売上を伸ばしていきました。

そんな中、1940年(昭和15年)長男の吉太郎さんが33歳という若さで亡くなり、空襲で本社を失いました。幸いにもウイスキー工場は戦火を逃れていました。「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」と自分に言い聞かせ、決して諦めることはなかった鳥井信治郎さんは、自らの手でウイスキーの製造を再開しました。

 

1946年にリーズナブルなウイスキーであるトリスウイスキーを販売しました。このトリスハイボールは戦前にすでに製造法を確立させていたそうで、満を辞しての発売でした。

全国各地に「トリスバー」「サントリーバー」が作られ民衆の間でトリスハイボールが広まっていったそうです。

 

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「大阪の鼻」をもつ鳥井信治郎という男

1960年(昭和35年)に「サントリーローヤル」が誕生しました。

香り・味・色すべてが最高で、鳥井信治郎さんの最後の名作になったそうです。

鳥井信治郎さんは1962年(昭和37年)にワインとウイスキーにかけた生涯を終えました。享年85歳でした。

最期まで生涯現役で本当においしいものを日本人に届けたいと働き続けました

 

自分の信念を貫き、挑戦の日々を生きてきた鳥井信治郎さんのように私も挑戦の人生を選択していきます。

弊社はお客様の人生を最高のものにSwitchするお手伝いをしています。

これからも弊社スタッフ一同精進してまいります。

 

【参考URL】

サントリーのホームページ

https://www.suntory.co.jp/company/history/

歴人マガジン

https://rekijin.com/?p=27872